子供が発達障害である事実を祖父母に理解して受け入れてもらうためにしたこと

 

私は子ども3人のうち、発達障害の診断済みが2人、発達障害の疑いの子が1人います。

12歳、長女(自閉症スペクトラム、知能はボーダー)

8歳、長男(ADHD+自閉症スペクトラム、知能の遅れなし)

5歳、次男(自閉症スペクトラム、学習障害の疑いあり、知能はボーダーか上だと予想)

夫と義両親はいまだにこの事実を受け入れてもらっていません。

私の両親は今では子供たちの将来を楽しみにしてくれるまでになりました。

ここに至るまでの経緯を書いていきたいと思います。

 
  

子どもの発達障害を祖父母(両親)に打ち明ける前

我が家の場合、長女については幼いころから発達障害の可能性については指摘されていました。

ですが、様々な感情や事情から娘が10歳になるまで診断を受けさせていませんでした。

参考 子供が発達障害の疑いありと言われたけど受け入れられなかった話 

診断を受ける前も、もちろん私の実家にはたまに帰省していました。

娘がまだ小さい頃はよく行ってたこともありましたので、祖父母には馴染んでいましたが、子どもが3人になるとなかなか行けなくなりました。

毎日のように祖父母(私の両親)と接しているわけではないので、実家に帰るとそれなりに祖父母も驚くことが多かったようです。

まだ発達障害だと祖父母に伝える前、というよりも娘が発達検査を受ける前の実家でのエピソードをご紹介します。

中には、発達障害とは関係なく子供ならではの反応もあると思いますが、その線引きは難しいのでそのまま書きますね。

 

長女の場合

もともと他人と目を合わせることが苦手な子でしたが、私の弟が苦手で目を合わせることをしませんでした。

幼稚園入園前、私が下の子を妊娠していて充分遊んであげられないことがありましたが、そんな時に夫が両親(娘の祖父母)と談笑してると自分はつまらなくなってしまい「帰ろう」と言った。

長い時間自分が相手にされていなかったとかではなくて、実家に到着してわずか数分後、その短い時間でもしっかりと相手をしてあげてなかったからのようです。

長女が父(祖父)の作った料理に、「何これ」と口をつける前から嫌そうに発言。

幼稚園に通いだしたにも関わらず、トイレトレーニングが終わっていなことにびっくり。

最近は祖父母と言えど心を開いた態度はとりません。

表面上は会話したり一緒に遊んだりしていますが、どこか一歩引いてる感じです。

成長して思春期に入りつつあるというのも一因かもしれないですが。

 

長男の場合

私がトイレに行く、先にお風呂入るだけで大泣き

末っ子を妊娠中に帰省していた時、急に私の具合が悪くなり、母(祖母)、娘、息子とともに病院に向かいましたが、長男はパニックになってしまい大泣き状態でした。

テレビを見ながら、食事ができない(うちは気が散りやすいのでリビングにテレビを置いてない)

トランプをしてて、負けただけでかなり悔しがる。

母からしてみたら、たかがゲームなのに・・・という気持ちなんだと思います。

 

次男の場合

祖父母にはたまにしか会わないので、来たら最初は必ず警戒して両親のところに寄らない。

ひらがなが読めないことに驚かれたが、「幼児だしね」で済んだ。

 

当時は同居していた義両親からは、子供たちの行動について躾がなってないと言われていました。(娘の発達障害診断後、受け入れることが出来ずに同居解消)

ですが私の実家にはそれほど行かせてませんから、そこまではひっかからなかったのかもしれません。

弟夫婦には子供がいないので、両親からしていたら他に比較対象の孫がいなかったというのもあるかもしれませんね。

また、子供たちは学校や幼稚園といった家庭以外の場ではあまりトラブルを起こしません。

私の実家も彼らにとっては、他人の家(自分の家じゃない)みたいな感覚で、トラブルにならないのかもしれません。

 

ついに子供たちが発達障害であることを祖父母に打ち明ける

長女が発達障害から不登校になり、発達障害や不登校に理解のない同居の義両親と揉めた時、夫も同じく発達障害や不登校に理解のない人でしたので離婚を考えました。

長女が10歳の時です。

しかし、私はただの専業主婦だったので両親を頼るしかなかったのですが、一時的にでも子どもたちを連れて実家に行くことを両親には許してもらえませんでした。

私の場合は夫が離婚には賛成していなく、娘の発達障害や不登校を受け入れることは出来ないけど一緒には住むという考えだったんです。

だから両親も実家に戻ることを許してくれませんでした。

ただしタイミング的に、その時に長女の発達障害と不登校の話しをすることができました。

長女が発達障害だと言ったら、「普通の子とはちょっと違うと感じてた」らしいです。

それでも学校に行かないことは、なかなか理解はしてもらえなかったですね。

それとこれとは別っていう感覚だったんでしょうか。

両親にとっては孫が発達障害だということよりも、不登校だということの方が問題だったようです。

支援学級に行かせたほうがいいんじゃないかということを言われました。

でもそれよりちょっと前に、すでに娘と話し合いをしたところでした。

その結果、当時5年生だった長女は「支援学級は私の行くところじゃない」と言ったんです。

学校生活に疲れてしまった長女にとっては、充電期間だったんですね。

幸い両親も理解してくれたので、それ以上揉め事に発展することはなくホッとしたのを覚えています。

 

両親(祖父母)が子供の発達障害を受け入れてくれたと思ったら父の脳梗塞

少し余談になってしまいますが、発達障害の子供とどう接していくかの参考になると思うので、書いていきます

長女の発達障害が分かり、義両親とは同居解消、夫と修復はできず家庭内別居、私の両親に打ち明けた翌年。

そんな大激動の後の初めての正月の帰省が終わり、1ヶ月後、父が脳梗塞で倒れました。

幸いにも寝たきりにはなりませんでしたが、退院後は後遺症で歩行困難な状態でした。

両親との同居はしていませんでしたが、帰省することはあります。

でも父の身体が不自由なため、今まで以上に子供たちに気を配る必要がありました。

子どもたちには父の状態をあらかじめ伝えて、出来るだけ具体的に注意をしました。

  • おもちゃを足下に置かないこと
  • おじいちゃんの通り道は空けてあげること
  • トイレは我慢しないで行くこと
  • トイレのスリッパはドアの近くに置かないこと
  • おじいちゃんおばあちゃんのお家でのお泊まりやお風呂はできないこと
  • おじいちゃんが寝る時間になる前に帰ること

 
発達障害の子供たちには、曖昧な言い方は伝わりません。

その代り、多少面倒でも1つ1つ具体的にきちんと説明すれば理解してくれます。

娘や息子たちもちゃんと守れました。

あの時、離婚して両親と同居しなくて良かったと思います。

発達障害児を育てながらの介護は、私には出来なかったと思います。

逆に母に迷惑をかけることになってしまっていたと思います。

 

最後に、今の両親の反応を書いておきますね。

  • 義両親とは離れて暮らす方がいい(同居解消に賛成)
  • 発達障害でも、得意分野で活躍できるかもしれないから楽しみじゃないか
  • 長女は中学で支援学級に通うことが決まって良かった

 
別の記事で詳しく書きますが、長女は中学から登校を再開することになりました。

そして親子で支援学級に見学にも行き、納得して支援学級を選びました。

私は何よりも、子供たちの祖父母である私の両親が、彼らを受け入れてくれていること、前向きに将来を楽しみにしてくれていることが嬉しいです。

ただし娘が中学校も不登校を続ける選択をしていた場合、今後また不登校になった場合に両親がどういう反応を示すのかは分かりません。

明らかに両親にとっては、不登校 > 発達障害でしたので。

 

子供が発達障害である事実を祖父母に理解して受け入れてもらうためにしたこと-さいごに

両親が健在で会う機会が多い場合は、子どもが発達障害があることを話した方がいいと思います。

一番の理解者になって欲しいのは夫ですが、理解ない人もいるでしょう。

母親は子どもといる時間が長くストレスを抱えやすいので、身近に自分たちのことを理解してくれる人がいることは大きいです。

ただし、理解してくれてるからといって全面的に甘えてしまうのはダメ。

帰省する時は、子どもたちとあらかじめ約束をしておくといいと思います^^

参考 発達障害の子供に関する他の記事はこちらから