子どもが発達障害かもしれないと指摘されたたけど、検査を受けて障害者としての人生送らせたくない!
私も以前は、我が子は内気なだけ、家では問題ないから大丈夫と思っていました。
その後、紆余曲折あって検査を受けましたが、夫と義両親は受け入れることを拒否。
いまだに受け入れられないようです。
でも子供のためにも検査を受けてよかったと思っています。
12歳の娘が3年前に検査を受けるまで健常児として生活してました。
我が家の体験談をお話しします。
子どもが発達障害の疑いあり?
3歳児健診での指摘
娘が3歳健診を受けた時です。
問診票に「赤ちゃん返りがきつくて困っている」など悩みを書きました。
私が下の子を妊娠した時から赤ちゃん返りがきつかったです。
何するにも私にべったりだったのです。
当時は夫の両親と同居していましたが、夫にも祖父母のところも行かず私にくっつくばかりでした。
娘が入園前の冬休みに妊娠して悪阻がきつく家事もまともにできず、義母に手伝ってもらい、寝込むことが増えました。
それでも娘は私から離れず、いつの間にかDVDの操作の仕方を覚えていました。
当時はまだトイレトレーニングが終わってなくて、気に入ったパンツで外でお漏らしして、オムツに逆戻り。
そんな時に3歳児健診があり、心理士さんに指摘されました。
「傘は何するもの? 」の問いに「傘」と答えたんだそうです。
当時はまだ傘は持たせずにレインコートしか着せてませんでした。
だから娘にとっては、傘が何のためにあるのかきちんと分かってなかったんですね。
それなのに「2歳児並みのボキャブラリー、目を合わさない」と一方的に言われ、個別相談を勧められました。
その数日後に母子精神保健担当からの手紙が来ました。
しかし、健診の時の心理士さんが真摯な雰囲気じゃなかったこと、手紙の担当名から違和感を感じてました。
反発もあったのかもしれません。
- 娘は目を合わす人を選ぶところがあること⇒健診で目を合わさなくても相性が悪かっただけ
- 使ったことがない傘の質問でボキャブラリーの遅れを指摘されたこと⇒知らなかったんだから仕方がない
- 家では普通に話しができてること⇒内気な子なんです
こういった理由で相談には行きませんでした。
もうすぐで幼稚園入園だったので、様子を見ようと決めたんですね。
幼稚園での指摘
幼稚園入園後、年少の時に先生から幼稚園での会話は単語だと言われました。
この時も「家では普通に話しているから恥ずかしいだけ」だと思っていました。
年中に上がると、指示が通らない、身体の使い方がぎこちないと言われ、児童相談所に行くことを勧められました。
この時は私も相談に行くことを考えていたんですが、夫や同居していた義母から反対されました。
「家族に障害者としての人生を送らせなくない」と。
家族の中では障害者はもっと知能の弱い人、娘は人見知りするだけで賢いという認識だったのです。
ただし正直に言えば、私もこの意見に真っ向から反対できるほどの意志はありませんでした。
だからこそそれまでに専門家との相談をすすめられても、断って来たんですが。
家族は娘の発達障害を受け入れられず
娘が学校に遅れて行くことを夫に責められた
今でこそ世の中に認知が進んできた発達障害ですが、現在12歳の娘の小さい頃はまだそれほどではなかったです。
健診の心理士さんや幼稚園の先生も、発達障害がどんなもので療育がいかに大事なのかということは仰ってくれませんでした。
娘を発達障害児として育てず、他の子と同じとして育てている間に、小学校3年生になりました。
小学校では就学前健診で普通学級に在籍となりました。
私が支援学級に行かせたくなかったので、困ってることなどをほとんど話さなかったんです。
でも入学直後から言葉を発しない場面緘黙(ばめんかんもく)があり、1年生の秋から集団登校に行かないようになりました。
さらっと書いていますが、当時はもちろん場面緘黙などという知識はなく、単に家族の前ではお喋りができるけど外では恥ずかしがり屋さんになってしまう、人見知りと考えていました。
考えていたというより、問題がないと思い込もうとしていたのかもしれませんね。
そして3年生になると遅刻が増え、宿題がやりこなせないということも。
普通学級に行かせて娘に無理させていたんですよね。
いろいろありましたが、家族にはそれらをすべて私の躾にされました。
夫には娘が学校に遅れて行くことに「私が甘やかせてるからだ」と言われ、10年一緒に娘と過ごし、子どもも下に2人できて娘の発達に違和感を感じていた私はようやく相談に行きました。
発達障害だとわかってから
保健センターではすぐに発達検査をしてもらえると思っていたんですが、なんと順番待ちでした。
これは全国的な傾向なのか、私の住んでいる地域的な問題なのかは分かりませんが・・・。
4年生の春にようやく検査できました。
結果は自閉症スペクトラムで知能はボーダーという診断。
小学校入学からの場面緘黙は二次障害と言われました。
ここで場面緘黙という症状を知ったことになったわけです。
場面緘黙症とは、家でなどでは問題なくお喋りが出来るにも関わらず、幼稚園や小学校といった特定の場面だったり状況になると話すことができなくなってしまうことです。
「話さない」ではなく、本人が話すことを希望しているのに「話せない、話すことができない」のであり、不安が原因と言われています。
人見知りや内気とは違います。
このころからは娘は学校に行きたがらなくなり、3年経った現在では不登校になっています。
うちの家族は障害が分かっても理解や協力はありません。
夫はショックで鬱病になり一時休職、その後復職しましたが、娘への理解は変わりません。
不登校を続ける娘に扶養はするが、後は知らないと協力的ではありません。
義両親も娘の不登校に理解を示さず、同居解消となりました。
私だけは娘の味方になると立ち向かってきました。
義両親との同居を解消したことで主人とは溝ができ、現在も修復できず家庭内別居状態です。
娘は発達障害の診断を受けてから、2年間の不登校を続け、今年4月からは中学生となり支援学級に通います。
子供が発達障害の疑いありと言われたけど受け入れられなかった話-さいごに
私の経験からすると、発達障害の疑いを指摘されたらすぐ検査するべきです。
世の中の認知が進んできたので、ズバッと検査を勧められることもあるでしょう。
発達障害とわかればその子にとって生活していきやすい、生きやすい環境が整えられます。
私の夫や義両親は世間体が第一でしたが、私も最初は相談に行くことを拒否し我が子は正常だと思い込もうとしていました。
大人の見栄や世間体より我が子に愛情を注ぎませんか。
そして家族、特に夫には理解してもらうべきです。
娘みたいに中学で普通学級が難しいタイプの子は手続きをすれば中学から支援学級に行けます。
うちの娘みたいに二次障害に苦しむケースもあります。
私の周りにも夫が子どもの発達障害が受け入れられず、離婚しているケースがあります。
その子にとって合う環境が一番ですね。
私はワンオペですが、三人の子どもとは良好な関係を築いていますよ。