発達障害児の不登校 小学生の娘の場合の原因と対応をまとめてみた

発達障害児の不登校 小学生の娘の場合の原因と対応をまとめてみた

発達障害の娘は小学校4年生の2月から不登校になり、不登校のまま小学生を卒業しました。

今のところ中学には元気に通ってくれていますが、不登校になった原因やその時の学校や先生の対応などをまとめてみました。

私の娘の体験談から参考にしていただけたらと思います。


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発達障害の娘が不登校になったのは小学生の時

不登校の子どもは、ある日突然学校に行かなくなるわけではありません。

学校に行っては休んでを繰り返す五月雨登校という状態になり、その後エネルギー切れして学校に行けなくなってしまうんです。

我が家の場合、五月雨登校は4年生の夏休み明けからありました。

娘には発達障害(自閉症スペクトラム)と診断されていて、場面緩黙があります。

知能レベルはボーダーの娘にとっては、学年が上がるごとに普通学級では大変さが増してしまい、学校生活がかなりしんどかったのだと今では思います。

不登校になる前から自作自演でいじめを訴えたりとサインは出ていました(いじめはありませんでした)

ですが当時は、親である私も深刻さに気付いていなくて、娘に対するケアをしっかりとしてあげることが出来ませんでした。

五月雨登校のきっかけは宿泊学習が台風のため延期になり、夏に行われなかったあたりからです。

2学期になると運動会のダンスの練習があり、その練習も大変な中で行われた宿泊学習。

発達障害の娘にとっては、宿泊学習もかなり緊張するし疲れるイベントです。

その次の日疲れて休む。



運動会の練習も休み休みしながらこなし、運動会当日もなんとか参加できました。

その後の学習発表会ではやる気が低迷していたように思います。

学校や通級の対応も、行ける時に頑張ってという感じでした。

親の私は、毎日のように「学校に行く、行かない」と連絡するのが疲れて来ていました。

不登校になったきっかけ

休みながらなんとか登校する五月雨登校を続けていましたが、12月になり家でトラブルを起こします。

家のお金で高い玩具を買い、自作自演の手紙で転校していく友達からもらったと嘘をついたのです。

やはり無理がある嘘なのですぐにばれてしまい、バレたら謝りましたが。

それはゲームセンターのゲームと連動する玩具だったので返しました。

今までも家でタブレットばかりしていたので、このままではまた学校に行きづらくなるからだと思ったからです。

お年玉もあるし、お手伝いしたらお駄賃あげる約束もしました。

次の日から学校に行かないまま冬休みに突入。

先生の対応としては

・冬休みの宿題は全部できなくても構わない。

・通知票がの結果が低下しているのは、学校休みがちでテストの成績が悪いから。

・冬休み明けから毎日ちょっとずつでも来て欲しい。


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1月は2回だけ登校

学校に行くのが辛くなってたけど、1月は2回登校しました。

先生に促され、お楽しみ会に行った日が1日、そして夫が「学校に行け」と集団登校の時間に家を追い出して鍵を閉めてしまった日でした。

夫に締め出された日は、最初はマンションから出ず隠れていました。

その後、夫が怖くなり私と仕方なく行ったのでした。

ちなみに夫は娘の発達障害に対する理解はなく、不登校などもわがままと考えています。

不登校は抑鬱状態になってから

発達専門外来では抑鬱状態だと診断され、しばらく学校を休むことを提案。

学校にも納得していただき、毎週の予定を渡していただく日が続きました。

5年生に進級し、5月には3日登校できたのですが、それは弟が入学してきたからです。

しかし、続くことはなかったですね。

5年生の間は行くか行かないかで葛藤していた時期です。

夏休み明け、担任の先生に改めて相談したら「不登校になってもサポートします」と仰ってくださいました。

毎週の予定はいつも持ってきてくださいました。

不登校中の学校の繋がり

娘の不登校のことで、当時同居していた義両親と揉めに揉めた挙句、同居解消をしたのが5年生の6月末。

ちょうどそのころ、担任の先生が家庭訪問して下さることになりました。

毎週金曜日の17時30分から30分。

この訪問は娘が学校に行きやすくなるようにするのが目的でしたが、そのまま本格的な不登校になってしまいました。

ただ、6年生になっても担任の先生は変わらなかったため、この家庭訪問は卒業まで続きました。

先生にはかなりの負担になったのではと思いますが、親としては学校との繋がりを確認できてとても有難かったです。



丁寧に対応してくださったのは担任の先生だけではなく、校長先生もでした。

校長先生には不登校の専門機関に繋いでいただいたり、中学で支援学級に行く手続きで何かとお世話になっていました。

また中学の支援学級の行事に、見学に行けるようにしていただきました。

ちなみに小学校の卒業式は校長室ですることになりました。

娘の不登校が始まってから2年以上、小学校最後の登校日でした。

不登校の間も学校と繋がっていることができましたが、娘のクラスの子どもたちは不登校の娘を受け入れてくれました。

これはもう先生方の努力があってこそですよね。

本当に感謝でした。

また娘にとって、これからの道を探せた期間でもありました。

不登校支援センターでは自分以外の不登校の子どもがいることを知りました。

中学の支援学級の見学は、支援学級がどんなことをしているところかを知りました。

娘は不登校支援センターの中学生、そして支援学級の中学生を見て「中学は学校に行ってみたい」と言いました。

現在は実際に中学に通っています。

卒業まで無事毎日を過ごしてくれるかは分かりませんが・・・。

不登校の2年間は大変でしたが、娘にとっては必要な時間だったのかもしれないとも思っています。


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発達障害児の不登校 小学生の娘の場合の原因と対応をまとめてみた-さいごに

誰だって自分の子どもが不登校になったら動揺してしまいますよね。

しかし、発達障害の子供にとっては、不登校は発達障害の二次障害のこともあります。

学校に適応できない子どもはいるのです。

行き渋りになると学校は何とか来てもらおうとします。

親も学校に行かせようとします。

その結果、子どもは次第にエネルギーを失い不登校になります。

不登校になりたてのころはエネルギーを貯める時期と考えてみてはどうでしょう?

学校は不登校になっても、生徒や家族を見捨てたりしません。

不登校でも子どもにとって合う方法をサポートしていただけないか話し合うことが大事です。

焦らずに子どもにエネルギーが貯まるのを待ちましょう。

参考 発達障害の子供に関する他の記事はこちらから