5月27日、28日に横浜アリーナで行われたBリーグファイナルも非常に多くのブースターが観戦に訪れ、盛り上がりを見せているバスケットボール。国内リーグだけでなく、八村塁選手、渡邊雄太選手が世界最高峰のリーグNBAで活躍してくれていることもバスケオッボール人気を後押ししてくれているようです。
今でこそ八村選手、渡辺選手とNBA 日本人が2名活躍していますが、過去を遡っても合計5名しかいないほど狭き門です。
そこで今回はそんな狭き門を潜り抜け、NBAでプロ契約を結んだ日本人選手5名をご紹介していきます!
NBAでプロ契約を結んだ選手一覧
NBAでプロ契約を結んだ日本人選手は順番に
- 岡山恭崇(1981年ドラフトで指名)
- 田臥勇太(2004年)
- 富樫勇樹(2014年)
- 渡邊雄太(2018年2way契約、2021年本契約)
- 八村塁(2019年ドラフト1巡目で指名)
です。
岡山選手、冨樫選手は契約こそ結んだものの、開幕前に契約解消をされてしまい、NBAでプレーすることは叶いませんでした。
NBAの公式戦でプレーした歴代選手3人
田臥勇太
生年月日 1980年10月5日
身長 173cm
ポジション PG
田臥勇太選手はプレイメイク力と類まれなパスセンスを武器に、チームのプレーを活性化させるプレースタイルです。
秋田県・能代工業高校でインターハイ、国体、ウインターカップの3つの全国大会すべてで優勝を成し遂げるという前人未到の成績を残しました。
ブリガムヤング大学ハワイ校へ進学しますが2002年に怪我などの理由で中退すると帰国し、トヨタ自動車アルバルク(現Bリーグ:アルバルク東京)と契約を結び、プロとしての生活をスタートさせます。
2003年にはNBA挑戦を続けるために渡米し、サマーリーグではダラス・マーベリックスでプレーするなど着実にステップアップし、2004年にフェニックス・サンズと契約を結び、日本人初のNBA選手となりました。
NBAでは合計17分と、あまり爪痕は残せませんでしたが、日本人の歴史として圧倒的に濃い1歩を記録したパイオニアです。
渡邊雄太
生年月日 1994年10月13日
身長 206cm
ポジション SG / SF
日本人2人目のNBAプレイヤー・渡邊雄太選手は長い腕と判断の速さを生かしたディフェンスと、シュート力とハンドリング力が武器の選手です。
両親ともプロバスケットボール選手、特に母は日本代表のエースプレイヤーというサラブレットとして、小学1年生からバスケを始めました。
高校時代にウインターカップ2年連続で準優勝を果たすと、田臥選手の後押しもあり単身渡米。ジョージ・ワシントン大学で主力として活躍。4年生の時には、A10カンファレンスの最優秀守備選手に選出されました。ドラフト指名も期待されていましたが、残念ながらドラフト指名はかかりませんでした。
ブルックリン・ネッツの一員としてサマーリーグに出場、活躍し、メンフィス・グリズリーズと2way契約を結び、日本人2人目のNBA選手となりました。
2021年4月19日にトロント・ラプターズと本契約を結び、日本人3人目のNBA本契約選手となりました。また、日本人で初めてエキシビット10、2way、本契約を経験した選手でもあります。
八村塁
生年月日 1998年2月8日
身長 204cm
ポジション SF / PF
日本人初のNBAドラフト1巡目指名選手として3人目のNBAプレイヤーとなった八村塁選手はNBAの中では堅実なプレーをする選手で、ミドルレンジのジャンプシュートや、早い攻撃からの速攻、身体能力を活かしたゴール下が武器の選手です。
ベナン人の父と日本人の母を持つ八村選手は、中学生からですが、圧倒的な身体能力を発揮し、チームの中心として全国大会準優勝を果たしました。さらに宮城県・明成高校在学時はウインターカップ3連覇という実績を残します。
大学はアメリカ・ゴンザガ大学に進学。着実に力をつけると3年生の時には一時全米1位になったチームのエースとして活躍。NBAドラフトで1巡目・全体9位でワシントン・ウィザーズに指名され、NBAプレイヤーとなりました。
2023年には日本人選手で初めてトレードされ、超名門のロサンゼルス・レイカーズに加入すると、プレーオフで大きなインパクトを残しました。
関連記事:NBA・八村塁の年俸は3年総額73億円!コート外の驚愕収入も調査してみた
幻のNBA 日本人選手
実際にはNBAでプレーすることはありませんでしたが、実は非常に惜しかった選手が2人いますので、順番に紹介していきます。
岡山恭崇
岡山恭崇選手は日本人で初めてNBAドラフトで指名された選手です。
大学からバスケを始めると、わずか4年後には住友金属工業に入団。日本リーグのリバウンド王と新人王を獲得し、日本代表としても活躍していました。
1981年のNBAドラフトで、ゴールデンステート・ウォリアーズから指名を受けました。
ただし、
- 住友金属工業が中心選手を引き抜かれるのを嫌がった
- 本人がオリンピックに出たかった(当時NBA選手はオリンピック出場禁止されていた)
ということがあり、NBA入りはかないませんでした。
富樫勇樹
日本人2人目のNBAチームとの契約を果たしたのが冨樫選手です。バスケの世界では非常に小柄ですが、運動量とスピード、ハンドリング技術と得点能力を武器に、プレーする選手です。高校からアメリカに挑戦をしました。この3年間はチームの中心選手として活躍する一方で、言葉や文化の問題、さらにホームシックに近い状態に悩まされていたそうです。高校では活躍していましたが、希望のランクの大学から声がかからず、NBAに挑戦するために、一旦日本に帰国。秋田ノーザンハピネッツと契約しました。
秋田で活躍し、再度NBAに挑戦するために渡米すると2014年にダラス・マーベリックスの一員としてサマーリーグに参加し、活躍を認められてダラス・マーベリックスとNBAの選手契約を結びました。しかし開幕前に解雇され、その後すぐに日本に帰国し、千葉ジェッツの中心選手として活躍し、日本人Bリーガー初の1億円プレイヤーとなりました。
最後に
今回は過去にNBAでプロ契約を結んだNBA 日本人選手についてまとめてきました。田臥選手や冨樫選手は現在ではBリーグのレジェンド的存在ですが、NBAではプレーの時間が得られない苦労をしてきていることから、やはり狭き門なのだと感じます。
八村、渡辺両選手には今後も活躍を続け、日本人NBAプレイヤーがさらに増える足掛かりを作ってもらいたいですね!