M-1グランプリで史上初の二連覇を成し遂げた令和ロマン。2025年にはボケでありコンビのブレーンである高比良くるまさんが過去に行っていたオンラインカジノの問題で活動自粛を強いられた一方で、松井ケムリさんが様々な番組などで活躍、活動の幅を広げました。
今回は松井ケムリさんの父親や実家などについて調査しましたよ。
松井ケムリの父親は?
松井ケムリさんの父親は松井敏弘さん。何をされている方なのかというと、大和証券グループの重役なんです!大和証券といえば、日本の総合証券会社大手5社の一角である大企業。松井敏弘さんは神戸大学を卒業し、大和証券に入社。花形である事業法人部で「事法のエース」と呼ばれるなど存在感を見せ、大和証券の副社長などに就任しました。
2024年には新たに副会長に就任したことが明らかになり、そのことを「教えない」と言われていた松井ケムリさんも発表には驚いていたそうです。また、関西テレビ放送の監査役も務めていますよ。
大和証券での活躍は?
週刊誌の報道によると、2005年のライブドアによるニッポン放送株買い占め騒動の際にニッポン放送の主幹事だった大和証券の担当者が松井敏弘さんだったそうで、ニッポン放送の防衛スキームを考えて敵対的買収を回避するという働きを見せたのだとか。
終電がなくなるまで働いては、翌日の朝7時に会社にいるという凄まじい仕事人間で会社に貢献してきた松井敏弘さん。無理が祟って2007年頃に病で倒れましたが、その後は社の最高健康責任者に着任して社員の健康管理に取り組むなど、ただでは起きない姿勢も見せました。本人は健康のためにマラソンを始めたそうですよ。
息子の芸人挑戦には?
大企業の重役というエリートのお父さんからすると、息子が「芸人になる」というと反対したくなるもののように思えます。しかし、松井敏弘さんは意外にも松井ケムリさんの進路には反対せず、「AIにできない仕事だからいいんじゃない?」と賛成したそうです。着眼点が人とは違いますよね。
大和証券は吉本興業の福岡の劇場のネーミングライツを取得しており、大和証券と吉本興業は近しい関係にあります。その縁から、令和ロマンは福岡劇場での出番と出演料を貰うという、「親のコネ」でも活動もあったようですよ。
父に怒られたことも
とはいえ、息子が何をしても怒らない父親というわけではないようで、松井ケムリさんがM-1グランプリで優勝する前に大和証券の名前をテレビで出した時にお父さんからめちゃくちゃ怒られてしまったそうです。なんでも、「芸人がTシャツを作ってそれを売る」というイベントの際に「お父さんの会社の社員1万5000人全員に買わせます」とボケたところ、ネットニュースで炎上。炎上騒動になったのがお父さん的にまずかったようですね。
松井ケムリの実家は豪邸?
報道や、松井ケムリさんのコメントによると、お父さんの年収は1億8100万円にもなるのだとか。松井ケムリさんが小学生だった頃からそれだけの年収があったのかは不明ですが、それでも十分高年収だったことが予想されます。
そんなわけで、松井ケムリさんの実家はやはり豪邸。コンシェルジュ付きのマンションが実家で、テレビ番組で高級老人ホームを目撃した松井ケムリさんが「雰囲気が実家に似ていてよかったです」と語ったこともありました。
お金持ちエピソードも沢山
当然松井ケムリさんはお金持ちエピソードを豊富に持っており、例えば少年時代にディズニーランドに行った際には、会員制レストランで食事をしていたのだとか。ただでさえ色々とお金がかかるディズニーランドで、会員制レストランとなると果たしてどれだけの費用がかかったのか、想像もつきませんね。
また、松井ケムリさんが大学生時代には東京タワーが見えるマンションに住んでいたのだとか。生まれは横浜、大学は慶応義塾大学に通っていた松井ケムリさんは上京して一人暮らしをしていたようですが、当然学生のバイトの収入などでそんなマンションに住める道理はなく、親にお金を払ってもらっていました。
芸人らしい下積みエピソードも特になし
お笑い芸人といえば、基本売れるまでは家賃の安い家で生活し、バイトなどで食いつなぎながらなんとかブレイクする為の足がかりを掴もうとするものですが、松井ケムリさんは芸歴の浅い時期にも港区のマンションに住み、16万円する高級スーツをお父さんに買ってもらい、芸人人生二年目からバイトもしていなかったという、芸人らしい下積みエピソードが全く見当たらない方なのですね。それでいて芸人としても比較的早くブレイクしてしっかり結果を残せるというのも凄い話です。
松井ケムリの経歴
ここからは松井ケムリさんの経歴を紹介します。
大学浪人中にお笑いに興味を持つ
桐朋中学・高等学校に通った松井ケムリさんは、その後慶應義塾大学法学部法律学科に進みましたが、この際浪人期間もあったようです。浪人期間は「だるかった」らしく、お笑い番組「アメトーーク!」の時間だけが楽しくて、この時に「お笑いって素敵だな」と思いお笑いに興味を持ち始めたそうですよ。
大学では慶應義塾大学のお笑いサークル「お笑い道場O-keis」に所属、他にもバンドサークルの「総合音楽研究会」にも所属し、どちらかといえばそちらでの活動の方に重きをおいていたそうです。楽器はベースを担当していましたよ。
サークルの先輩後輩でコンビ結成
お笑いサークルでは、松井ケムリさんが3年生、高比良くるまさんが2年生の時に飲み会の席でふと二人になり、それをきっかけにコンビを結成。当時高比良くるまさんの方は、同時に最大9つほどコンビを結成していましたが、結果的に松井ケムリさんがNSCに入学する際に高比良くるまさんも大学を中退してNSCに入ることとなりました。「魔人無骨」の名前で活動を開始した二人は、NSC東京23期生133組の中で首席の座を勝ち取り、芸歴一年目で史上初となるヨシモト∞ホールのファーストクラスメンバーへの昇格を果たすなど、駆け出しの時期から「注目の若手」としてお笑い界隈で名を知られる存在でしたよ。
最後に
今回は令和ロマンの松井ケムリさんの父親の職業や実家などについて紹介しました。高比良くるまさんの活動自粛という逆境の中で、逆に自身のタレントとしての能力の高さを知られるようになった松井ケムリさん。本人はこういったタイミングで褒められることが多くなったことには、少々来まずさや不本意な感じもあるようですね。
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